参照:物語要素事典

*関連項目→〔極楽〕・〔天国〕
★1.生きた身で、天界を訪れる。
『ジャータカ』第494話 サーディーナ王は大規模な布施を行ない、多くの功徳を積んだため、サッカ(帝釈天)に招かれ、肉体を持ったまま天へ昇った。
王は、人間界の数え方によれば7百年の間、さまざまな楽しみを享受し、やがて功徳が尽きて地上へ帰った。
『神曲』「天国篇」 「私(ダンテ)」はベアトリーチェに導かれて、天界へ昇った。
月天には誓願を果たせなかった魂、水星天には善行を働いた魂、金星天には恋に生きた魂、太陽天には知識人の魂、火星天には信仰のために戦った魂、木星天には正義を愛した魂、土星天には黙想を行じた魂、恒星天には聖者たちの魂が、住んでいた。
原動天では天使の群れが旋回し、至高天ではベアトリーチェに代わって聖ベルナールが案内役をつとめ、「私」は神の姿を見ることができた。
★2.身体は現世にありながら、心は天界へ昇る。
『インドラの網』(宮沢賢治) ツェラ高原を歩く「私(青木晃)」はひどく疲れて倒れ、「私」の錫いろの影法師に別れの挨拶をして、さらに進む。
天人が翔けるのを見て、「私」は「人の世界のツェラ高原の空間から、天の空間へふっとまぎれこんだのだ」と思う。
朝になり、インドラのスペクトル製の網が空一面に張られ、天鼓が鳴り、蒼孔雀が鳴く。
「私」は、草穂と風の中に白く倒れている「私」のかたちを、ぼんやり思い出す。
『今昔物語集』巻6-6 船中で賊に殺されそうになった玄奘三蔵が、兜率天の慈氏菩薩(=弥勒菩薩)を念じる。
すると、玄奘三蔵の身体は現世にありながら、心は須弥山を越えて兜率天へ昇り、慈氏菩薩が妙宝台に坐して天人たちに囲まれているありさまを見た。
その時、黒風が起こって高波が船を翻弄したので、賊たちは非を悟り、玄奘三蔵に懺悔した。
*肉体は現世にありながら、魂は一足先に地獄へ堕ちている→〔地獄〕8aの『神曲』(ダンテ)「地獄篇」第33歌。
★3.いったん天に生まれても、その後に地獄へ堕ちることがある。

『今昔物語集』巻1-18 仏が、異母弟の難陀を連れてトウ利天に昇る。
難陀は出家した功徳で、死後トウ利天に転生するはずであり、宮殿が用意され、美しい天女5百人が待っていた。
次に仏は難陀を地獄に連れて行く。
難陀は、トウ利天での寿命が尽きた後は地獄に堕ちる運命なので、彼を煮るための鼎が準備してあった。
難陀は恐怖し、トウ利天に生まれたいとの望みも消え、ひたすら地獄に堕ちないよう願う。
仏は法を説き、難陀は阿羅漢果(=もはや転生せず涅槃に入れる悟りの境地)を得た。
★4.死後、天に生まれる人は、ごく少数である。

『今昔物語集』巻9-36 隋の時代。
ある人が、冥府の鬼(き)に、人間の六道輪廻について尋ねた。
鬼は答えた。
「死後、天に生まれる者は、1万人に1人もいない。
人間界に生まれる者は、1万人に数十人。
地獄へ堕ちる者も、数十人だ。
鬼道(=餓鬼道)と畜生道に生まれる者が、最も数多い。
私のいる鬼道にも、またいくつかの階級がある」〔*修羅道については言及がない〕。
★5.死後、天へ向かう人と、地上に転生する人。
『アエネーイス』(ヴェルギリウス)第6巻 地下冥界のエーリュシウムにいるアンキーセースが、息子アエネーアスに語る。
「人間の魂は天上に起源を持つが、肉体の中に入ると様々な悪業を重ねる。
そのため、死後は冥界で苦を受けて、罪を清めねばならない。
わしのような少数の者は天へ帰るのだが、大多数の者はエーリュシウムで千年を過ごした後、レテ河の水を飲んで一切を忘れ、再び肉体をまとって地上へ転生するのだ」。
★6.死後、天へ行く人と、地下へ行く人。
『ギュルヴィたぶらかし(ギュルヴィの惑わし)(スノリ)3 肉体の死後も人間は生き続ける(*→〔息〕2a)。
礼節をわきまえた良い人間は、ギムレー(第3天の上にある大広間)、またはヴィーンゴールヴ(女神たちの神殿)で、神々とともに暮らす。
悪い人間はヘルに行き、さらにそこからニヴルヘルに行く。
それは、下の第9界にあるのだ。